with Wine | ワインショップ&ダイナー FUJIMARU 東心斎橋店 スタッフブログ
2014.10.30
いつになく長いです。
ちょっと書くつもりがとんでもないことに。
色んな意見があると思います。
でも、一番大事なことはみんな知ってるような気がします。
日本のワインのラベル表記や最近のワイン法について
フジマル的見解を書いてみました。
最近話題のワイン法に関して思うこと
とある会でこんな言葉を耳にしました。
「日本のワイナリーのワインのほとんどは輸入原料なんだから、飲む価値ないよ!」
うーん、当たってはないが外れてもない。
現実はこうだと思う。
・日本のワイナリーのほとんどは国産原料だけでワインを造っている。
・ある一部の大手ワイナリーが輸入原料を使って大量に、いや、莫大な量のワインを造っている。
つまり、日本全体の製造量としてとらえると輸入原料が使用されているワインが大半を占める。
しかし、ワイナリー数として捉えると輸入原料を使っているワイナリーはそれほど多くない。
といった感じではないでしょうか?
実際、生産者の良心任せで大した規制や罰則もないので正直なところは誰もわからない。
なので、これを規制するために自民党さんが議員立法で制度化しようとしている。
(輸出なども含め、もう少し深いお考えがあるようです。)
で、前述のコメントで私が気になるのは実は後半部分。
本当に飲む価値がないのか?
私はそうは思わない。
正直、前半部分はそれほど気にならない。事実だしね。
気にすべきは輸入原料が入っているからと言ってダメなのかどうか、だと思う。
うちのカラーからすると意外に思われるかもしれないけど
私は輸入原料を使ったワインでも何も問題ないし、
ワインの消費量を増やすという意味では大事な存在だと考えています。
だって、安いし、商品によってはちゃんと飲めたりする。
自分が売るべきワインではないだろうけど。
では、何が問題なのか。
それは、
「お客様が日本の原料が使われていると思って輸入原料が入ったワインを購入すること」
だと思うのです。
要はこの問題の論点は
輸入果汁を使うか否か、ではなく、
お客様が誤解して、
というより、お客様を誤解させるようなラベル表記しかされていないことが問題なのです。
言うなれば、これは「食品偽装問題」なのではないでしょうか?
日本のワイナリーの名前があって
国産ワインとかラベルに書いてあったら
誰でも日本のブドウだと思いますよね?
でも、ワイナリー協会の自主基準では
最近まで、国内で醸造すれば原料がどこのものであっても国産ワインと書けた。
今は自主基準でもう少し厳しくはなったが、
それでもあくまで自主基準のレベルであり法的な罰則などはない。
皆さんは輸入ワイン飲みますよね?
私にとっては輸入ワインを飲むことと、
輸入原料で造られたワインを飲むことにはそれほど大差はないと思っています。
原料を輸入することの何が悪いのですが?
だって、誰が醸造したかっていう違いしかないのですから。
もちろん、美味しいかどうかは別の問題として。。。
(この記事に関して味云々は忘れてください(笑))
何度も書きますが、大事なことは
「お客さんを誤解させないこと。」
曖昧な表示も含めて、使用していない、もしくは混ざっているなら
原産地を匂わすような表記をやめるべきではないでしょうか?
前々から不思議に思っていたことですが
輸入原料を使っているのに日本の原料と思わせるような表記を
なぜ、消費者庁は野放しにしてるんでしょうか?
私にとっては立派な食品偽造問題であり
アルコールだから、嗜好品だから許される問題ではないと思うのです。
自主基準とか、立法とかいう前に
原産地を書くことは他の食品なら当たり前なのに
なぜかワインは野放し。
飲食店なら、メニュー表記のわずかな表現の違いでもニュースになるのに、
また、スーパーに行けば、パックされた食材には必ず原産地が書いてあるのに。。。
そして、この話突き詰めて行くと
輸入原料云々だけの話では収まらなくなるのです。
例えば、私たちは大阪でブドウを栽培していますが、
日本全国の農家さんからブドウを購入していたりします。
私たちの場合は、買い葡萄が入っている場合は
ラベルから名称まで変えていますし、
何より裏ラベルにはブドウが生まれた都道府県名を表記しています。
理由は簡単です。
お客様によっては大阪のワイナリーだから、
当然、大阪のブドウだと思っている方がいらっしゃるからです。
誤解されないように今年からはラベルの方向性も変えています。
でも、ここで皆さんに理解して頂きたいことがあります。
皆さんの中で「買いブドウ=良くないブドウ」という印象をお持ちの方、
結構いらっしゃったりしませんか?
ワインの歴史において、
ワイナリーが自社畑を持ち、醸造するようになったのは
実は本当に最近のことなんです。
そもそも、ブドウを造る人と、ワインを造る人は別々というのがワインの世界なのです。
ドメーヌもの云々とかいうブルゴーニュですら、
1900年代前半にアルマン・ルソーらを始めとする優秀な栽培家が起こしたドメーヌ元詰め運動を経て、1900年代後半になってようやく今のブルゴーニュの形になったのです。
もちろん、今でも優秀なネゴシアンは沢山活躍しています。
実際に私たちがワインを仕込むとき、
自社畑のブドウであっても、買いブドウであっても
かける愛情は全く同じです。
買いブドウだから適当に仕込む、なんていうことは絶対にありません。
自分のラベルを貼ったワインが評判を落としたら
自社ブドウのワインだって売れなくなりますよね?
もし、自社と買いブドウの唯一の差があるとしたら
「ブドウをどこまで信じれるか?」だけだと思います。
自社畑のブドウだと、その畑の個性はもちろん、
その年の気候や環境がどうだったかを把握しているので
こういう仕込み方しても大丈夫!みたいな感じで
思い切った、もしくは、逆に控えめな醸造をすることができます。
遠方からの買いブドウだと
そのブドウの癖やどういう一年を過ごしてきたかがわからないので
消極的な仕込みになりがちです。
あ、ちなみにこれは私の場合なので
すべてのワイナリーに共通するかはわかりませんが。
また、アメリカやオーストラリアなどのように
広大なブドウ畑が広がるエリアでは収穫してワイナリーに運ぶまで
数日かかることも普通にあります。
ブドウは平べったい箱に入れて自分の重みで潰れないようにさえしてあげれば
1000キロぐらい運ばれることもざらにあります。
少し脱線してしまいましたが
要はブドウを購入するということ自体は世界的に見ても普通のことであり、
特に法整備の遅れている日本では
「法人では農地を持つことが難しい農地法」と
「個人では酒類製造業免許を取りにくい酒税法」
とのはざまにあるワイナリー業界において、
ブドウを購入するということは必須であると言えます。
(特区があるエリアは羨ましいです)
付け加えるとフランスやイタリアでも
超安いワインはアフリカあたりの海外原料だったりします。
ただ、表記はしっかり決められていますが。
大事なことは、輸入原料かどうかだけではなく、
消費者が何を飲んでいるかがちゃんとわかることであり、
飲み手にも多少の理解や周知が必要だと思うのです。
少し脱線します。
これは個人的な考えなので正しいかどうかはわかりません。
生産者も好んで最初から今の表記をしてきたのではないと思うのです。
勝手な想像かもしれませんが
ワイン造りに携わる人々はそのほとんどが農作業を中心とした重労働であり
その汗の結晶を偽るなんて一番やりたくないことです。
でも、日本のワインは売れない時期が長かった。
もちろん、品質に問題があったのも事実かもしれない。
ただ、造り手も流通業者も消費者もみんな未熟だった。
ワインの教育もフランス偏重主義で、
「美味しいワイン=オールドワールドのワイン」
みたいな教え方が長かったのも事実。
ニューワールドのワイン生産国の教科書には
そのほとんどが自国のワインが一番最初に記載されている。
日本は、そんな当たり前がやっとできるようになったところだ。
これを書いている自分だって日本のワインに偏見があった時期があります。
(私の場合は先に好きになって、嫌いになって、また、好きになるというパターンですが)
ワインが売れなかったワイナリーは
どうにかして生き延びようと目立たないように工夫をした。
原価を落としたり、表示を変えてみたり。
(それが輸入原料やラベル表記の問題へ繋がる訳です。)
そして、生き延びたワイナリーは、
やっと長いトンネルを抜け、陽の目を見ることができた。
でも、そのトンネルには途轍もない苦労があったはずだ。
日本のワイン文化が成熟してきた今、
それらの手法は物議を醸しているかもしれないが
ワイン造りの灯を消さずに繋いでくれた功績は計り知れない。
あるワイナリーの社長の口癖だが、
30年やってきてワインがまともに売れたのはこの5年だけだと。
営業に行っても日本のワインというだけで何度門前払いにあったか。
私だってそうだ。
大阪で造っているというだけで飲みもせず
馬鹿にされたことがたった1年の間に数十回もある。
ただ、時代は変わった。
もう小細工などしなくても飲み手は理解してくれる時代になった。
だから、消費者の皆さんにもお願いしたい。
これからの日本のワイナリーを見て欲しい。
そして、ワイナリー側にもお願いしたい。
ワインというものの本質を考えれば
やるべきことはわかっているはずです。
もう時代が追い付いたんです。
私の本業はワインショップです。
ただ、いろんな側面をもつ特殊なワインショップです。
生産者と消費者を繋ぐ役目を持つ立場として
この時代に生きる役割があるとするなら
色んな時代背景の中で絡み合ってしまった糸を解くことなんじゃないかと
思うことがあります。
まぁ、気のせいかもしれませんが(笑)
話を感情論からグイッと戻します。
国産ワインの表示云々という問題を解決しようとするとき、
それは、輸入原料云々というだけではなく、
本当の意味での原産地を書くという流れにならなければ
無意味な制度になると言えるのではないでしょうか?
そして、議論されている案を見たわけではないのですが
見聞きするところ、ヨーロッパ式の、つまり、AOC的な法律を目指しているとか。
個人的な意見としてはこれだけは止めて欲しい。
なぜなら、フランスは何千年というワイン造りの営みの中で、
その産地に向く品種や仕立て、栽培、醸造方法を確立してきた。
だからこそ、テロワールという言葉がある。
日本はどうだ!?
たかだか150年やそこらだ。
ブドウの樹は植えてから最初の収穫まで3~4年はかかる。
そこから醸造して熟成させたらもう2年だ。
それで向いてないことがわかったら、やり直し。
個人で品種の研究なんかやろうものなら30年ぐらいあっという間だ。
ワインは人より長生きなんだ。
ワインというものの性質を考えたときに150年なんて
はっきり言って赤ん坊のレベル。
毎年毎年変動の激しい気候の日本でテロワールを確立しているエリアなんて
いったいどれだけあるというのか。
この産地はこういう味なんだ!って言いきっていい産地なんて
今の日本に本当にあるんだろうか?
あまりにもサンプル数が少なくありませんか?
官能検査も必要とされる可能性があるようですが
いったい何を基準に検査するつもりなのか?
産地個性なんてまだ誰も知らないのに。
日本はニューワールドだ。
大航海時代以降にワイン産業が発達したエリアだ。
模すべき法律はアメリカやオーストラリアのような新興国にあるはずだ。
どの産地にどの品種が向いてるかなんて
何百年もやらなきゃわからない。
それでも変化していくから、
オールドワールドでも微調整しているぐらい。
EUは確かに大事な商圏かもしれない。
でも、がんじがらめにされた古い法律によって
若い造り手たちが苦労しているのもオールドワールド、EUなのだ。
一時の日本食ブームなんかに乗っかって
後に続く人たちの芽を摘むような法律にだけはしないでほしい。
まず大事なことは、お客さんに正直になることだと思う。
それからでも輸出の話をするのは遅くないのではないでしょうか?
長々とご拝読ありがとうございました。
すっきりしました(笑)
藤丸
ずっと書きたくて、
でも、色々あってためらう部分もあって、、、書き出したら止まらなくなってしまいました(笑)
と勝手なことを書きました。
20日(月) 15時に、久し振りに(2.5ヶ月振りに)別の友人と2人で島之内にお邪魔します。多分予約なしでもOKでしょうね。
皆さんのコメントのレベルは次のステップの話です。
無くしてはいけない考え方ではあるけれど、それだけではないのもワインだと思うんです。
そして、その考え方の醸成も国それぞれ、産地それぞれで、その考え方や社会情勢も含めたものがテロワールに繋がっていくことはフランスのワイン産地が歴史で証明してくれています。ボルドーなんてこの100年で真逆に近いタイプのワインになったし、バローロだって昔は甘口だった訳で、シャブリにキレが出たのはステンレスタンクの登場以降だという声もあります。
マサフミ様が生食用を作っていらっしゃるかわかりませんが、例えば、大阪や東京に出荷することもありますよね?山梨だけで消費できないこともありますよね?
もちろん、畑の近くで収穫したばっかりのものが美味しいとは思います。畑を近くにもつ山梨のワイナリーの優位性は語るに及びません。
他産地のブドウを仕込むことがいいことなのかどうかは、色んな側面があるので正解はでないと思います。
なので、法律ができたり輸出が問題だと言っているのではなく、日本の実態に合わせた法律になればいいなと述べています。
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