Food Selection | ★さしすせそ生産者訪問記★
和歌山県「丸正酢醸造元」編
2021.01.04
目の前は海
後ろ山
自然には事欠かない
そう朗らかに案内してくれたのは小坂和子さん
“す” 丸正酢醸造元へ伺った
四代目であり先代の愛娘さんは紆余曲折を経て丸正酢醸造元の屋台
まずは世界遺産である熊野古道 大阪門へお連れいただく
ここは丸正酢醸造元の創業の地
初代が友人と2人で酢造り始めのちに独立、明治12年創業以来醸
熊野銘酢として伝統醸造にのっとり酢を醸す
続いてさらに山深く進み、
実際に飲んでみるととにかく柔らかく角がない
まさに清水
清涼とともに起伏を歩いてきた身体にスッと染み込んだ
そして醸造蔵へ
まず構えから雰囲気が溢れまくっている
かっこいい。。
漂う醸しの香り
一歩踏み入れると凄い勢いで流れ続ける水が
「あの〜、、あれ、出しっぱなしなんですか?」
答えてくれたのは和子さんの伴侶で共に四代目の小坂康夫さん
「水が命」
「そうなんです。
いや、私もびっくりしました…
こちらの水も飲ませていただく
あれ、、那智の滝より美味しいよ、、?
さきほど立ち寄った
那智の滝と同じ水源の熊野山系伏流水が酢蔵のある井戸水へと辿り
この井戸水は通年水温16度の軟水
大事に守られ続け、
そして近代的なデータとしては水中含酸素がとても多いそうだ
那智の滝の落差から生まれるのかどうか
真相はさておき、
うーん、よく出来ている
蔵をさらに進むと至る所に墨痕鮮やかな書の数々
表の看板も含めこれら全ては先代小坂晴次氏の跡によるもの
そしていよいよ木桶樽と対面
神聖なるこの部屋に入るにはまず神棚に手を合わせ法螺貝を吹く、
今はニ礼ニ拍手一礼してからだ
ここにも逸話がある
戦後配給米もなく、酢が仕込めない時代を経て、
どうしたものかと熊野の修験者について滝上で習った法螺貝をきか
明かりとりの窓からうっすらと入る自然光の中に壮観の12樽
江戸時代に熊野杉で作られた木樽には
それぞれ歴代の名力士の名前が付けられている
これは先代の相撲好きが高じてだがここにもストーリーがある
曰く、
早くお酢やお酒になると荒々しくなる
痛むか傷まないかじわじわ醸造発酵したものは味が良い
早く菌膜張る先輩は美味しい子孫を残す役割
なかなか成長しない子(樽)
ちなみに、千代の富士、若乃花は発酵が早く良く働くそうだ
さすが名にし負う名力士!
140年以上菌を共に育ててきた樽を見ながら康夫さんはこんな話
「お酢は家庭で作れるのか?」とある日質問されたそう
答えは応であり否である
「酢自体は作れるだろうけれど、味わいは”集団繁殖地”があって
年輪のスジ以外が痩せて棚田のようになっていろんな菌が集団繁殖
誰でも酢はつくれるけれど、誰にも作れない味。
どんな時代でも作り続けられるように電気に頼らないこのやり方を
そして種酢の事にも触れなくてはいけない
ちょうどこの日”2番目にラッキー”と呼ばれるタイミングに訪問
これがお酒になり、やがて酢になる
その期間およそ18ヶ月
仕込みと熟成を経て全量絞りきるが、5割から場合によっては7割
居付きの菌とともに再仕込みを何年も何百年も繰り返す
ビジネスとしては難しいがそれもこれも
「どこにもない丸正の味を作るために」
元々は地元に愛される酢蔵だった
一升瓶と五合瓶を地元で販売
しかし時と共に大手メーカーの台頭
3カ月以上かかった酢の醸造を24時間でできるようになる廉価な
古式醸造してもラベルは同じ表記の食酢
売り上げは下がり続け、当時配達していた800軒を一軒一軒改め
そしてここで生き残るためにはと今に至る角瓶作り、昭和58年く
今やヨーロッパを含めて15か国で売られるように、パリのval
そして常に先を見据える当代のお二人
木桶の150年寿命問題
仕込み方を守り熟成期間の長さを補う経営方法
オール和歌山メイドの酢造り
玄米酢の可能性
酢の原材料は米、こうじ、水。途中までは日本酒造りと同じ
米のでんぷん質が糖に変化し、
米(玄米)、麹、水、そして蔵人の愛情と木樽
どれが欠けてもこの味にはならない
だからこそ規模は今のまま、時短も拡張もしない
甑ゆかしくこの酢を愛し育てる人たちがここにいた
by、YUKI.KIMURA
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